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土讃本線繁藤駅のはなし

高知県香美市に位置するJR土讃線繁藤駅の駅舎が今年秋ごろに解体されるということで解体前に訪れてみました。

駅舎は開業当時からの建物と思われますが、国鉄分割民営化後に改修されています。当時の雰囲気は見て取れませんが、出札口や窓口跡など当時の面影は各所に伺えます。

改修前は妻屋根の瓦屋根に木板張の外観で鉄道が全国に敷設された昭和初期によく見られた仕様でしたが、改修後は鋼板の寄棟に尖塔があしらわれ、外壁は白い金属サイディングへ変わったことで見た目が和洋折衷になっています。

また、正面側の窓廻りも三角形の小庇が付けられておりJR発足時の意気込みを感じました。

近年土讃線では駅舎の解体が進んでおり、解体後は必要最低限の設備に置き換わっています。

高知県内では3年前に土佐岩原駅舎、昨年は大田口駅舎が天井部材の落下により解体されました。土讃線の県境付近にあたる大歩危~土佐山田間のうち大杉駅を除く8駅は1日4往復の普通列車しか停まりません。

人口が希薄な地帯ゆえに維持管理の負担軽減のための駅舎解体は致し方ないと思います。

繁藤駅は昭和5(1930)年6月21日、高知線の土佐山田~角茂谷間延伸に合わせ開業。当時の駅名は「天坪」で、当時の所在地・長岡郡天坪村から採られました。

「天坪」は江戸時代には「雨坪」と表記した地名で、その名が示す通り雨の多さがよく伺えます。並走する国道32号線を走っているとこの地域だけ雨が降っていたり路面が濡れていたりすることがよくあります。

昭和37年10月1日に天坪駅から現在の繁藤駅に改称。「シゲ」は草木が繁った未開の地、「トウ」は山の尾根の窪んだ場所を意味する「垰」が転訛したもので、「シゲトウ」は「草木の繁った未開の鞍部」を意味するそうです。

個人的にはこの地の特性がよく感じ取れる「天坪」駅の名称で良かったと思います。

駅が位置する場所は標高347メートルで四国の鉄道駅では最も標高が高いそうです。隣駅である新改駅との間には徳島方面へと流れる吉野川水系の穴内川と太平洋に注ぐ新改川(国分川)の分水嶺があるため雨が多いのです。

 

そんな雨雲の吹き溜まりになりやすい繁藤で語らなければならないのは「繁藤災害」です。

昭和47(1972)年7月5日に発生した集中豪雨によって引き起こされた土砂崩れが駅周辺の集落や停車中の列車を呑み込み、背後を流れる穴内川まで押し流しました。救助活動を行っていた消防団員を含め、死者60名、負傷者8名、家屋全壊10棟、半壊3棟という甚大な被害を出し、繁藤駅も駅構内の半分が土砂に埋もれたそうです。この時停車していた高知発高松行き普通列車は高松方の機関車1両と客車2両が土石流に飲み込まれました。乗客に死傷者はいなかったそうですが、機関車の運転士1名が亡くなっています。被災したディーゼル機関車は現地解体されたそうで、その時搬出された機関車のナンバープレートがJR四国多度津工場にて保管されているそうです。しかし搬出できなかった車体の一部は現在も駅対岸の穴内川ほとりに埋没しています。

跨線橋から東方を望む

この跨線橋より東側一帯が土砂崩れによって埋め尽くされました。

繁藤駅から北に向かって徒歩5分ほどの場所には繁藤災害慰霊塔があります。災害から半世紀が経ち災害を知る人は少なくなっていると思いますがこれを機に訪れてみてはいかがでしょうか。

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